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日時:1月14日(土)、14時から
場所:京都大学人文科学研究所本館1階 セミナー室1
報告:橋本伸也
タイトル:「過去が紛争化させられる時代」


2016年5月27日、アメリカ合衆国のオバマ大統領が広島原爆記念公園を訪問し、12月28
日(日本時間)には日本の安倍首相が真珠湾で第二次世界大戦をめぐる歴史認識の日米
「和解」を演出した。従属国家の政治指導者が宗主国との「和解」を演じ、そうした操
作にマスコミと世論が追随する奇怪さには(いつものことながら)言葉を失うが、それ
にしてもなぜこのように過去を呼び出して現在の政治を飾り立てる手法が蔓延している
のだろうか。この違和感は、ちょうど一年前に「従軍慰安婦」をめぐる唐突な日韓首脳
の政治合意が果たされた際により深く感じた痛みと通底しているだろう。

日本で「歴史認識問題」は、韓国・中国とのあいだで宿痾と化した植民地支配と戦争を
めぐるそれに焦点化して理解されがちであった。しかもその際には、しばしば、「過去
を克服」し、平和と人道を希求するドイツの「記憶文化」への挑戦が引照されて、対立
の絶えない東アジアと和解と統合の進展するヨーロッパとの対比とともに日本の醜悪な
までの政治的貧困を慨嘆するのが、良識ある人びとの一般的な態度であった。もとより
、この対比が過去四半世紀以上にわたって果たしてきた道徳的役割は軽んじられてはな
らない。だが、すでに昨年刊行した拙著でも詳論したとおり、ヨーロッパにおける和解
の進展という像はむしろ、東アジアで観察される深刻な対立への危機意識や絶望を反転
させた虚像ないし誇張というべきものであり、実はヨーロッパでも過去をめぐる歴史と
記憶の分断線が幾重にも張りめぐらされてきた。ロシアや中東欧を観察している報告者
の目には、ヨーロッパにおける対立のほうがより複雑で深刻に映ることもある。Brexit
の背景には、西欧にも深く存在した歴史記憶のズレや対立が伏在しているとの指摘も聞
こえてくるし、最近のインタヴューの中でジャック・アタリは、イギリスに続くイタリ
アのEU離脱可能性とともに、過去に何度も戦火を交えてきた独仏関係の亀裂と危機を
予想した(曰く、「仮にEUが瓦解すれば、1世紀の間に3度も戦火を交えたドイツと
フランスの間で、何が起きても不思議ではなくなる。」『毎日新聞』2017年1月3日付)
。ドイツとの歴史和解の努力を綿々と積み重ねてきたはずのポーランドでも、反EU政
治勢力の勃興とともに立憲主義の危機が奥深く進行している。ヨーロッパ統合の危機が
急速に進行するさまを眼前にする私たちには、もはや美しい和解の物語を紡ぎ続けるこ
とは困難だろう。

この四半世紀以上のヨーロッパと世界における歴史と記憶の扱いを観察する際に痛感さ
れるのは、さまざまの善意や思惑とともに「過去」が政治的に操作され、内政・外交上
の資源として使用(濫用)され、しばしば対立や紛争につながる構図である。なぜこれ
ほどに過去が人びとを縛り、政治的な危機に連動するのか、歴史と記憶の政治化と紛争
化はいかなる機制とともに進行してきたのか、その帰結はいかなるものか、意図しよう
としまいと「記憶のアクティヴィスト」たらざるをえない歴史家はかかる事態にどう向
き合うのか、以上のような問いについて試論的に語るのが今回の報告の目的である。そ
の際、この間報告者が追ってきた中東欧・バルト・ロシアの事例に傾斜しつつも、より
幅広い視野から現在の構図を解き明かすことができればと思う。

参考文献:
橋本伸也『記憶の政治----ヨーロッパの歴史認識紛争』岩波書店、2016年。
「特集・中東欧、ロシアの歴史・記憶政治」『ロシア・ユーラシアの経済と社会』2016
年6月号(No.1005)。

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