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日時:

2015年7月18日(土)14:00〜

 

場所:

京都大学人文科学研究所 共通2講義室

 

報告:

瀬戸口明久「レールに身体を横たえて:鉄道自殺の技術論」

岩城卓二「日本近世における複合生業−近世の中国山地から現代を考える−」

 

概要:

・瀬戸口明久「レールに身体を横たえて:鉄道自殺の技術論」

現代世界における空間と時間は、科学技術によってつくりあげられている。そこでは科学技術の産物である人工物だけでなく、それを支える社会制度、さらには利用者である人間が渾然一体となって巨大なシステムを構築している。それはしたたかなシステムである。そこでは時空の秩序が攪乱されたとしても、直ちに日常性を取り戻す仕組みを兼ね備えている。本報告では、そのようなシステムとして鉄道を取り上げる。鉄道は高度に管理された時間の中で、空間を越える人間の移動を可能にする。ときに攪乱要因——たとえば飛び込み自殺——が一時的に時間の秩序を乱したとしても、システムは速やかに回復され、ふたたび何事もなかったかのように稼働しはじめる。しかし少なくとも大正期までの日本においては、鉄道自殺はまったく違った意味を持っていた。その歴史を振り返ることによって、人工物と人間、日常と非日常、さらには他者とのつながりについて考察したい。

 

・岩城卓二「日本近世における複合生業−近世の中国山地から現代を考える−」

 日本近世の百姓は、農耕だけの単一生業民ではなく、山仕事・漁撈・小商い・日雇等々の諸稼ぎを組み合わせることで生計を立てる複合生業民であった。しかし近世史研究において、複合生業民でなければならなかった、あるいは複合生業民であることを可能にした社会的・自然的要因は、十分に説明されているとは言いがたい。そこで、本報告では、中国山地の北側に位置する石見国の幕府領をフィールドに、複合生業民の実態を具体的に明らかにし、人々の生きる営みについて考えていきたい。

 フィールドとする石見国は、銀・銅・鉄を産出する近世を代表する鉱山地帯であった。銀・銅は幕府鋳造貨幣の原材料や輸出品となり、鉄は農具を始め技術力の向上に大きな役割を果たしたが、その採鉱には、山師に指揮される多数の労働者の他に、坑道維持のための材木、精錬燃料となる炭、食糧をはじめ生活必需品、そしてそれを輸送する牛馬が必要であった。これらの需要を賄うため、百姓にはどのような生業が求められたのか。灰吹・たたら等の技術革新は鉱山経営にとってもちろん重要であるが、鉱物資源が眠る山を開発し、採鉱を続けるには、まずは諸物資を安定的に確保できる社会基盤の整備が不可欠であった。そのため石見国は、後進地域というレッテルを貼られることが多い山村が大半を占めるにもかかわらず、実は商品流通が活発な地域であった。

 今回の報告では、この社会基盤の整備について、水田稲作農耕を核にした複合生業の確立を百姓に求める幕藩領主と、農耕は生業の一つに過ぎないという立場から、自らを取り巻く社会的・自然的環境をふまえた複合生業のスタイルを構築しようとする百姓という、両者の違いに注目して、複合生業の実態を明らかにしていく。中国山地は牛馬飼育・炭生産が盛んな地域であったが、農耕・牛馬飼育・炭生産は、どのように組み合わせられていたのか。棚田の耕作、諸物資の輸送に用いられた牛馬は、生産・売買・死後の皮剥までが、どのように分業されていたのか。炭の安定的生産・供給を維持するため、どのような山の管理がなされていたのか。報告ではこうした点を明らかにしていきたい。対象とする時期は、18世紀後半から19世紀中頃までである。それは、商品流通が全国規模に拡大し、諸藩も特選品生産・商品流通に関心を持ち始めたことで、複合生業は、それまでとは違う問題群に直面していたからである。そして、以上の検討を通じて、鉱山地帯であることは、複合生業を可能にする力にもなり、また反対に生業を制限する力にもなり得たことを明らかにしていきたい。

 中国山地は、「過疎」・「土地の空洞化」という造語を生み出した地域であり、これに「限界集落」を加えて、現代の地方=農村社会が抱える矛盾の最前線として注目されることが多い。一方で、中国山地に、未来への可能性を見いだそうとする農学者・社会学者たちがいる(小田切徳美・藤山浩編著『地域再生のフロンティア』、農文協、2013年/小田切徳美『農山村は消滅しない』岩波新書、2014年)。彼らが可能性を求める「多業型経済(多様な稼ぎと自給による生計)」は、歴史学でいう複合生業と近似している。そして、前近代の鉱山業、とくにたたら製鉄が「多業型経済」を形作った要因ではないかとも推測している。今回の報告は、日本近世の複合生業の実態を具体的に明らかにすることに力点をおくが、環世界班と現代世界班との合同部会であることから、この「多業型経済」の可能性・課題についても言及をしたい。「近世の中国山地から現代社会を考える」という大仰な副題をつけたのは、そのためである。

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