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日時:

2015年10月10日(土)、14:00~
 

場所:

人文研本館1階 セミナー室1
 

報告:

王寺賢太
 

タイトル:

「アフター・リベラリズム ? ー啓蒙の世紀からポスト68年へ」
 

概要:

本研究班が掲げる「現代/世界とはなにか」という問いは、それ自体、歴史性をもっ
た問いであると思われます。18世紀の商業資本主義の興隆と世界市場の出現ともに初め
て、地球規模の「世界」に住む諸民族の軍事的・政治的・経済的等々のネットワークの
なかにおかれた「人類」は(そしてとりわけ「ヨーロッパ人」は)、そのネットワーク
のただなかから、自分たち自身の現在を問うようになった。あるいは、問うように強い
られるようになった。現在なお、「社会科学」とか「人文科学(人間科学)」と呼ばれ
る諸々の学問は、「人類」がこの世界規模のネットワークのただなかから、自分自身の
現在について問う際の回路として存在してきました。それは18世紀以降のヨーロッパで
、あるいはまたそれを範例として近代の政治=経済体制を確立した世界各地で、当の体
制の不可欠な部分であったとさえ言えます。だとすれば、現在あらためて「現代/世界
とはなにか」という問いを掲げる際に、これまで同様の問いがどのように提起されてき
たかを振り返ってみることも無益ではないでしょう。その際には、18世紀(後半)、「
啓蒙の世紀」に生まれた、「自由主義」と総称される政治=経済体制とそのなかでの知
の配置が焦点となるはずです。
 今回の発表では、18世紀末のレナル/ディドロの『両インドにおけるヨーロッパ人の
植民と商業の哲学的・政治的歴史』(1770/1774/1780)に「現代/世界となにか」とい
う問いの端緒を確認したあと、われわれの同時代の歴史家と哲学者が、近現代の知の批
判と密接にかかわるかたちで展開した、自由主義論を紹介してみたいと思います。その
同時代の歴史家と哲学者とは、それぞれウォーラーステインとフーコーを指します。ウ
ォーラーステインに関しては、マルクス主義的な観点を継承しながら展開された「世界
システム論」の方法論的考察と言える『脱=社会科学』(原著1991)と、その「世界シ
ステム論」の観点から、一九八九?九一年の社会主義圏の崩壊以降の現状分析と言える
『アフター・リベラリズム』(原著1995)の二つの著作を、フーコーに関しては、コレ
ージュ・ド・フランスで1978-1979年に行なわれた『安全・領土・人口』と『生政治の
誕生』(講義録はいずれも2004刊)の二つの講義??マルクス主義とは異なった観点か
らなされた「自由主義的統治性」の批判??をとりあげます。両者はそれぞれ異なった
観点から「自由主義」にアプローチしますが、いずれの場合も現在にまで継承されるよ
うな「自由主義」的な政治=経済体制が18世紀後半に生まれ、およそ1968年の世界的な
学生反乱から1973年のオイルショックにかけての一時期に、この「自由主義」の終わり
の始まり(ウォーラーステイン)、あるいは「新自由主義」への転機(フーコー)が訪
れるという時期区分については診断をともにしています。今回の発表では、この両者の
うちもっぱらフーコーに即して、この「自由主義のあと」の現代の政治=経済体制をど
のように理解することができるのか、また、その政治=経済体制のなかから、単に新た
な統治性の一齣にはとどまらないかたちで「人文学」にはいったいなにができるのかを
考えてみたい。そこから「現代/世界とはなにか」という問いの肯定的な意義を明らか
にすることが、今回の発表の課題です。

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